若江の戦い ~大阪夏の陣史跡めぐり
大和方面から大阪平野へと進軍する徳川本営の側面を衝くべく大坂城を出撃した木村重成は、若江で徳川方先鋒の藤堂隊を撃破して序盤は圧倒するものの、応援に駆け付けた井伊隊と激戦の末に兵力差を覆すことができずに壊滅しました。木村重成も勇戦の末に討ち取られたものの、若き勇将は敵をも感嘆させる活躍を見せました。
Updated Date : 2017-10-22 15:22:16
Author ✎ MKタクシー
この記事のシェアをお願いします。☺

若江の戦い
1615年5月6日、大和より大阪平野へと進軍する徳川方を阻止するため、大坂方は主力の後藤基次、毛利勝永、真田幸村を藤井寺から国分方面へと派遣し、徳川本営を側撃するために別働隊として木村重成、長宗我部盛親を八尾・若江方面へ派遣しました。 木村隊、長宗我部隊の動きに気づいた徳川方の藤堂高虎、井伊直孝らが阻止すべく八尾、若江方面へと向かい、両軍が激突しました。
File:Battle of YaoWakae ja.png - Wikimedia Commons
蓮城寺
わずか22歳で戦死したとされる豊臣譜代の青年武将である木村重成。大坂冬の陣では初陣ながら今福の戦いで敵味方を驚かせる活躍をし、一躍その名を轟かせました。 浪人主体の大坂方のなか、譜代の武将として大きく期待されていました。
OpenMatome
5/6の2時ごろに徳川方の本営を側面から衝くべく6,000の兵を引き連れて大坂城を出陣。午前5時ごろに徳川方の先鋒である藤堂隊と遭遇し、この地に本陣を置いて迎え撃ちました。深い霧のなか、互いに不意の遭遇でした。 序盤では藤堂隊を圧倒し、右先手を率いる藤堂良勝、良重を討ち取る大戦果を挙げます。
OpenMatome
霊牌所
勝利したとはいえ少なからず損害を受けたため、家臣は撤退を進言しますが一蹴します。 午前7時に藤堂隊とともに先鋒を務める井伊隊が救援に駆けつけ、再び激戦が繰り広げられました。 井伊隊左先手の川手良列を討ち取り、右先手の庵原朝昌の撃退に成功し、優位に戦いを進めますが、井伊直孝が本隊を率いて攻撃を開始します。
OpenMatome
早朝からの激戦により疲労の色の濃い木村隊は徐々に崩れ始め、家臣も次々と戦死していきます。最後まで後退することなく戦い続けた木村重成も討ち取られ、木村隊は壊滅しました。 結果的には、若江の戦いの敗北をきっかけに、優勢に戦いを進めていた八尾の戦いでも長宗我部隊が撤退に追い込まれ、さらには膠着状態にまで巻き返した道明寺の戦いでも撤退せざるをえなくなるなど、この日の大坂方敗退の引き金となる形になりました。
新しい肖像画ですが、凛々しい青年武将として描かれています。
OpenMatome

蓮城寺
34.65312102196917
135.60454149730504
0
0
0
17
34.65312102196917,135.60454149730504,0,0,0
蓮城寺は式内社の鏡神社に隣接しています。
OpenMatome
夏の陣では社殿は焼亡しました。ここでも激戦が繰り広げられたのでしょう。
OpenMatome
山口重信の墓
表面は剥離中の大きな墓が若江の戦いで討ち死にした井伊隊の山口重信の墓です。
OpenMatome
1613年に幕府の許可を得ずに大久保忠隣の養女と婚姻したため、1万石の領地を没収された山口重信は、旧領を回復するために井伊隊に属して出陣しました。 この改易事件は、徳川家が分裂しかけた大久保忠憐失脚事件の引き金となった事件です。実際には家康もからんだ幕府内での権力闘争事件ですが、表向きの罪状は無断婚姻とされています
OpenMatome
木村隊との激闘のなかで戦死。 しかし、このときの戦功により、1628年に父の山口重政は1.5万石の領地を与えられ、御家再興に成功しました。なぜ13年後?と疑問にも思いますが、明治維新まで大名として続いています。 木村重成の遺児を召し抱えたという伝承もあります。
OpenMatome

山口重信の墓
34.650755784861985
135.60797849670053
0
0
0
17
34.650755784861985,135.60797849670053,0,0,0
「きむらばし」
山口重信墓と運河である第二寝屋川を隔てた向かい側に木村重成墓があります。 両者を結ぶ橋は木村橋です。
OpenMatome
木村重成墓
「ああ忠勇義烈」「木村重成公」という仰々しい標柱のある公園内にあります。
OpenMatome
これがあの木村重成の墓。誰もがその死を惜しむ若き勇将の墓所があります。
OpenMatome
若き勇将真田幸村には知名度で大きく劣るものの、賛否両論ある幸村と比べ、現代でも悪く描かれたものは皆無であろうという人気を誇ります。
OpenMatome
第二寝屋川開削により、1967年に移転してきました。 150回忌にあたり、重成の首級を挙げた安藤長三郎の子孫が建立したものです。
OpenMatome

木村重成の墓
34.65019078776555
135.60746669769287
0
0
0
16
34.65019078776555,135.60746669769287,0,0,0
若江城跡
大坂の陣とは直接関係はありませんが、かつて河内守護所もあった重要拠点である若江城跡も近隣にあります。古くから交通の要衝であったことがうかがえます。 三好秀次の親衛隊を勤めた若江八人衆は、秀次死後石田三成に8人中6名が仕え、うち3名が関が原で討ち死にしました。
OpenMatome
歩道橋から跡地の学校付近を眺めますが、もともと低湿地のため地形的にも平べったく遺構はわかりません。
OpenMatome
戦国に覇を唱えた三好宗家はここに滅びました。 城自体は1583年に破却されましたが、重成が本陣を置いた蓮城寺とは100mほどの距離にあり、何等かの遺構を利用したということはじゅうぶん考えられます。
OpenMatome

若江城跡
34.65449787978588
135.6038693524897
0
0
0
16
34.65449787978588,135.6038693524897,0,0,0
ご予約・お問い合わせ
MKタクシー
一般他社より15%お得! 昼間も深夜早朝も、京都で一番安いのはMKタクシーにおまかせください。 ☎075-778-4141 ※おかけ間違いにご注意ください。 お電話不要、簡単注文「スマホ配車」はこちら
MKタクシー
京都でタクシー・ハイヤーのドライバー職募集「MKタクシー採用サイト」
お客様に日本の素晴らしさを発信するお仕事です! MKタクシーは日本有数の観光名所である京都に位置していますので、送迎のお仕事だけではなく、日本国内各地や海外からいらっしゃるお客様に京都や 日本の素晴らしいところを発信する大切でやりがいあふれるお仕事です。
この記事のシェアをお願いします。☺


関連記事

石と水の物語(No.19)~力石大明神 『六請神社(ろくしょうじんじゃ)』
興味深い収蔵品~秀吉の遺歯など 『豊国神社宝物館』
花ナビ(No.24)~星のソナタ  『大阪市中央公会堂の近く』
水無瀬神宮~夏の風物詩 ガラス風鈴と名水百選
林檎の袋掛けに初挑戦! 「非公開の雑草庵」