ロケットや人工衛星にホホバエステルが使われているかも!?
「鯨の代役、砂漠にあり」 マッコウ鯨の脳油(ワックスエステル)は融点が高く、体温では液体になるが低温では白い結晶状になるが極寒でも凍結しない。 この特性が潤滑油として月面のアポロや人工衛星などに利用された。 捕鯨禁止により天然ワックスエステル確保のためホホバの大規模栽培が広がった。
Updated Date : 2019-09-24 14:43:09
Author ✎ Kyoto Culture
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鯨の代役、砂ばくにあり 1977年1月10日の朝日新聞に「鯨の代役、砂漠にあり」との題で記事が掲載されている。 捕鯨への規制が厳しくなっている中、成分がマッコウ脳油(ワックスエステル)に近いホホバに目がつけられた、と言う。 マッコウ脳油は他の鯨油よりもはるかに良質な油として、近代捕鯨が始まる以前から高級蝋燭、薬品、機械油などに使われて来た。 20世紀に入り、極寒でも凍結しない潤滑油として、月面のアポロや人工衛星などに利用された。 捕鯨の禁止により、天然のワックスエステル確保のためホホバの大規模栽培が広がった。
月とマッコウクジラ
「鯨と、アメリカと、宇宙開発」 下関海洋科学アカデミー鯨類研究室 石川 創
1●最後の鯨油利用
昭和30年代生まれくらいまでの方々は、こんなテレビ広告をご記憶だろうか? 「マイナス10Cの世界では、バナナで釘が打てます・・・」とのナレーションで始まり、実際に冷凍室の中で凍ったバナナで五寸釘を打ち込むシーンが流れ、こう続く「マ イナス10Cでも、モービルワンはこんなに滑らか・・・」。 これは、アメリカのモービル社(現 : エクソンモービル)が 1974年から市販した、極寒でも凍結しないエンジンオイル「モービル1」の広告で、世界初の化学合成エンジンオイルであることが売り文句だった。 極寒地用の化学合成オイルは、インターネット百科事典のウィキペディアによれば、1960年代に航空母 艦艦載機のベアリングを守るために開発された化学合成グリスがルーツとされ、水産ジャーナリストの梅崎義人は、1971年にアメリカのサンオイル社が開発 したと著書「クジラと陰謀」(1986)で述べている。すなわちモービル1 の 発売は、もともと軍需用に開発された化学合成オイルが、廉価な民生用として 普及してきたことを示している。 ではそれ以前の極寒用オイルには何が使われていたのか? 潤滑油には以前か ら鉱物油が使われていたが、極寒に耐える潤滑油あるいは添加物として使われていたのは、マッコウクジラから得られる脳油だったのである。 マッコウクジラの脳油は、巨大な頭部にある脳油組織で作られ、脳油袋に蓄えられる。 その特性は融点が高く、体温では液体になるが低温では白い結晶状になり、白濁した脳油 を昔の捕鯨者たちが鯨の精液と見間違ったのが、英名「スパームホエール(精液クジラ)」の語源だと言われている。 一般的な鯨油は主にヒゲクジラの脂皮から産出され、それがために過去には最 大の採油が期待されるセミクジラやシロナガスクジラが真っ先に乱獲されたわけだが、マッコウ脳油は他の鯨油よりもはるかに良質な油として、近代捕鯨が始まる 以前から高級蝋燭や薬品、機械油などに使われて来た。 そして20世紀に入り、 植物油や石油製品で鯨油が代替されてきた後も、極寒でも凍結しない潤滑油として、1960年代の終わりまで重要な利用価値があったのだ。 潤滑油としてマッ コウ脳油がとりわけ重要だった利用先は、車のトランスミッションオイルの他、ミ サイルや大陸間弾道弾(ICBM)の慣性誘導装置、ロケットや人工衛星などである。 マッコウクジラは、20世紀の軍事および航空宇宙産業の発展に不可欠な 存在だったのだ。
月面のアポロ 15号 アポロ15号は 1971年に打ち上げられ、月面車 LRV が初めて使用された。(写真:NASA)
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2●アポロ宇宙船とマッコウクジラ
そうなると、俄然興味がわいてくるのは、人類の宇宙開発における金字塔であるアポロ11号にもマッコウクジラ脳油は使われていたのか?  との疑問である。 アポロ計画は、言わずと知れた、アメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初の月への有人宇宙飛行計画である。 当時ソビエト連邦(現:ロシア)と宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカが 1960年に開始し、翌年ケネディ大統領が「1960年代末までに人類を月に送る」ことを公約したことで、途方もない国家予算と技術、人材がつぎ込まれたことでも知られる。 1968年にはアポロ8号が有人月周回飛行に成功し、翌 1969年に、ついに アポロ11号が「人類の偉大な一歩」を月に標したのはあまりにも有 名だ。 アポロ計画は 1972年のアポロ1号の月着陸で終了し、翌1973年からは宇宙ステー ションを主役としたスカイラブ計画に引き継がれた。 前述のごとく民生用の化学合成オイルが 1974年に販売さ れ、軍事用など特殊用途での開発がそれに先立つ1970年前後であったとすれば、1960年代に開発されたアポロ宇宙船に マッコウクジラの脳油が用いられて いてもまったく矛盾しない。 どころか、年代から見てまず間違い ないと言っても良いだろう。 しか し、肝心の NASAはこの点に ついて、これまでにほとんど語っていないのである。 3●飛び交う噂と憶測 アメリカ国内では、当然ながらこの件に関し色々な噂や情報がネットを中心に飛び交っている。 曰く、「マッコウ脳油の用途は限定的で、アポロ計画でも初期のみに使用された」と述べる記事もあれば、「アポロを含む1970年代まで」あるいは「NASAは商業捕鯨が停止した1986 年までマッコウ脳油を使ってい た」と書かれた書物など実にさまざまである。 「そんな中、2010年に全米で放送された「ヒストリーチャンネル」という番 組で、「現在でも NASAではマッコウクジラの脳油を使っており、(稼働中の)ハッ ブル宇宙望遠鏡に使用されている。」とのナレーションがあり、アメリカ国内では ちょっとした騒動となった。ハッブル宇宙望遠鏡は、地上 600kmの軌道上を周 回する宇宙の無人天文台であり、アメリカが 1990年にスペースシャトルを使って打ち上げた。 もしハッブル宇宙望遠鏡にマッコウ脳油が使われているのであれば、アポロ宇宙船どころか、その後のスカイラブも、スペースシャトルですらマッコウク ジラのお世話になっていることになる。 商業捕鯨を禁止し、1972年に海産哺乳類保護法を制定したアメリカにはあってはならない話だ。 この時は、さすがに NASAも公式なコメントを出すことで事態の収拾を図ったようで、「1962年に打ち上げられた偵察衛星 Coronaにマッコウクジラ の脳油が使われていたとの報告がある。」「NASAはスペースシャトルおよびハッ ブル宇宙望遠鏡にマッコウ脳油を使用していない。」との発表を行った。 しかしこ の時もアポロ計画については何も言及がなかった。たぶん言いたくは無いのだろう。 一方、アメリカの有名な科学雑誌サイエンスは、2010年3月に興味深い記事を載せている。 地球温暖化が喫緊の課題となった現在、人工衛星からの気象観察データは非常に重要であるが、比較のためには過去の衛星観察データが必要となる。 NASAには1966年に収集した最古の人工衛星のデータがあり、 これらのデータ回収作業が始まっているが、そのデータテープは長期間の保存に耐 えるために鯨油でコーティングされている。 NASA は商業捕鯨が終了後に鯨油 が入手できなくなったために同じテープが使えなくなり、コピーしたデータは品質が劣化して、これまでにランドサットやアポロ11号などの多くのデータが失われ た、といった内容である。 この話を読む限り、少なくとも陸上では、アポロ11号の時代に NASA で鯨油が利用されていたことは間違いなく、宇宙空間で使用されていなかったと考える方がよほど不自然だろう。
日本の捕鯨で得られたマッコウクジラ脳油はアメリカに輸出された(写真:木和田正三)
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4、どこからマッコウ脳油を調達したのか
さて、アメリカは20世紀初めに帆船式捕鯨が衰退した後は、捕鯨砲と動力船 を用いた近代捕鯨による捕鯨業があまり発達せず、鯨油はほぼ輸入に頼ってい たのだが、宇宙開発の時代まで利用したマッコウクジラの脳油はどこから調達していたのであろうか。 Tonnessen と Johnsen の「近代捕鯨史」(1982) には、 太平洋戦争のさなかに軍事用としてマッコウ脳油を必要としたアメリカの要請で、ノルウェーの捕鯨船団が南米沖で大量のマッコウクジラを捕獲したと記載されてい る。 戦後からアポロ計画が進行していた 1960年代においても、アメリカ捕鯨産業は零細な沿岸捕鯨のみで、マッコウクジラの捕獲頭数は年間数10頭に過ぎな かった。 アメリカは、航空宇宙産業はおろか、軍事用のマッコウ脳油すら自国で 十分には調達できなかったはずだ。 この当時、世界で最もマッコウクジラを捕獲していたのは日本とソビエトであった。 捕鯨統計によれば、両国だけで北太平洋で毎年 15,000頭近くのマッコウク ジラを捕獲していた。 アポロ11号が月面着陸に成功した 1969年、日本は北 洋で 6,668 頭のマッコウクジラを捕獲し、30,600tのマッコウ脳油を生産した。 農林水産省の貿易統計によれば、このうち 9,969tが輸出され、 その最大の輸出先はアメリカで、8,731tと全輸出の9割を占めていた(注: ただし貿易統計表での品目は「鯨油(除ひげ鯨)」とあり、すべてマッコウ脳油かは識別できない)。 一方のソビエトが競争相手であるアメリカにマッコウ脳油を輸出していたかについては、残念ながらアメリカの貿易統計まで調べていないので定かではない。 前述の 「近代捕鯨史」には、イギリスの油業者の話として「ソビエトは 1960年~ 1972年まで西欧にも輸出していた」との記載があり、少なくともヨーロッパ には輸出されていた可能性が高い。 この時期、他の(ヒゲクジラ)鯨油価格が下 落する中でマッコウ脳油だけは高騰していたので、ソビエトにとっては外貨獲得に 役立つ輸出品だったのかもしれない。 しかし、軍備や宇宙開発に不可欠な油を、ソビエトが競争相手のアメリカに直接輸出していたとは考えにくい。 ちなみに日本 はソビエトにはマッコウ脳油をまったく輸出していない。 アメリカが日本からのみマッコウ脳油を輸入していたのだとすれば、この当時、アメリカの軍需産業や航空宇宙産業にとって、マッコウ脳油は欠かせなかったわけだから、アポロの月面着陸も日本の捕鯨のおかげとさえ言えるかもしれない。マッコウクジラなくして、人類は月に立てなかったのである。 5●ホホバという油について アポロ計画と油の関係については、もう一つ興味深い話があるのでここで紹介し ておく。 1977年1月10日の朝日新聞に、「鯨の代役、砂ばくにあり」との 題で記事が掲載されている。捕鯨への規制が厳しくなっている中、国内油脂業界 が鯨油の代替品として、ホホバ (jojoba)と呼ばれる砂漠の灌木の実から得られ る植物油に注目している、との内容だ。記事によれば、ホホバが注目されたのは 1970年頃からで、アメリカで鯨油を輸入禁止にするために、成分が鯨油 (注: ここではマッコウ脳油)に近いホホバ油に目がつけられたと言う。 かつて NASA にジョージ・ミューラーという著名な技術者がいた。 1960 年代にNASAで活躍し、アポロ計画の立役者、スペースシャトルの父とも呼ばれ、 1969年にアポロ11号が月着陸に成功した後に引退した。 彼は 2015年に 享年5歳で世を去ったが、ニューヨークタイムスが同年10月9日に掲載した追悼 記事には、ミューラーが退職後にマッコウ脳油の代替品であるホホバの農場を経営 したと書いてある。 アポロ計画の中心にいた人物だからこそ、マッコウ脳油に代わ る潤滑油の重要性を最もよく知っていたのだろう。 しかしホホバ油はその潤滑油としての有望性に関わらず、栽培が難しく生産量がなかなか上がらなかった。 前述の 1977年の朝日記事には、価格が鯨油 より一桁高いのが問題で、日米両国で5~10年で生産量を10~20倍にする方針 だと書いてある。 しかしその後は、野生の灌木の植物油よりも、同じ時期に開 発された化学合成油の方が潤滑油として安定的に供給でき、生産量でも価格面でも凌駕してしまったのであろう。 ホホバはマッコウ脳油から化学合成油 への過渡期に一時的な代替品として利用されたわけだが、現在でもホホバ油は健在だ。 インターネットを検索すれ ば、天然由来のビタミン豊富なスキンケア商品「ホホバオイル」として、自然 愛好家向けに結構なお値段で販売されている。
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6●商業捕鯨の停止とアメリカ
さて 1972年、アメリカは国内の零細な捕鯨産業を前年までに終結させ、 海産哺乳類保護法を制定して、アラスカ先住民による捕鯨を除き鯨の捕獲や鯨製品の輸出入を禁止した。  この時、アメリカが打ち出した鯨類保護政策は、単に国内だけに向けられたのではなかった。 アメリカは同年に、スウェーデンのストックホルムで開催された第一回国連人間環境会議において、商業捕鯨の10年間停止を議題に提出して圧倒的多数で可決させたのである。 だが国連人間環境会議は、「人間環境を保護改善するために各国政府および国際機関によってとられるべき措置」(外務省1972)を検討する会議であって、本来捕鯨問題を論ずる場ではなく、決議に拘束力も無い。 そこでアメリカは同年の国際捕鯨委員会IWCに同じ議題を提出したが、ここではあっさり否決されてしまった。 そもそもIWCの科学委員会が、すべての種の捕鯨禁止には科学的根拠がないとして、提案を一蹴してしまったのだ。 IWCはこの時期すでに、かつて多くの捕鯨国による鯨の乱獲を止められなかった失敗を繰り返さぬよう、資源管理を強化するとともに、絶滅が心配される種については捕獲禁止の措置をとっていたのである。  しかしアメリカはあきらめなかった。 官民を挙げて国内外で鯨の保護と反捕鯨の運動を展開するとともに、IWCでは多数派工作を行った。 同盟国イギリスや、資金潤沢な反捕鯨NGOの力を借り、それまで捕鯨とは縁もゆかりもなかった国々を次々とIWCに加盟させたのである。 そして 1982年に、ついに「商業捕鯨の10年間停止(モラトリアム)」はIWCで採択された。  IWCにおける規則の変更(附表の修正)は、総会における投票の 3/4以上の多数決で決まる。 アメリカがモラトリアムを初めて提案した1972年の時点では、IWC加盟国はわずか14か国で、そのうち捕鯨国は半分以上の8か国だった。 しかし10年後の 1982年には、加盟国は3か国に増加しており、新規加盟国のほとんどすべてが反捕鯨国だったために、賛成票が 3/4 を上回ったのだ。 ちなみにこの時ですら科学委員会は、全面的な捕鯨モラトリアムには科学的根拠なしとする考えを崩さなかった。  総会での決定は、本来IWCの規則であるはずの科学的助言がないまま行われたのだが、世界の捕鯨を止めようとするアメリカの強い意志は、10年かけて目的を達成したのである。以降、IWCは急速に捕鯨反対の姿勢を強めていく。 7●アメリカはなぜ捕鯨停止を急いだのだろう?  アメリカでは、1960年代に入り環境保護に対する関心が高まり、いわゆるエコロジー運動が盛んになった。 長引くベトナム戦争に反発する若い世代を中心に、現代文明を否定して自然に回帰しようとするヒッピー文化が流行したのも この頃だ。 アメリカの反捕鯨運動もそんな中で芽生えたと考えられるが、実際には、今日捕鯨反対を看板に掲げるアメリカおよび他国の環境保護団体や動物愛護団体のほとんどは、1970年代に結成されたか、同時期にその活動の主眼を捕鯨反対にしたに過ぎない。 反捕鯨団体の老舗グリーンピースにしても、最初に活動を始めた 1971年は反核・反戦団体であり、反捕鯨運動に傾注したのはもっと後のことである。 結局のところ、現在に至る反捕鯨運動はおよそすべて、アメリカが 1971年に自国の捕鯨産業を停止し、翌年から国際社会に対し捕鯨停止を訴えたことに端を発しているようにも見える。 そしてアメリカは それらの反捕鯨団体らと共に、世界の商業捕鯨停止に尋常とは思えないほどの熱意を注ぎ、10年という歳月をかけて目標を達成した。  なぜアメリカは国を挙げて、そこまでして商業捕鯨を停止させる必要があったのだろうか。  アメリカ政府が当時から本気で「鯨を救えなければ、人間と地球を救うことはできない」(国連人間環境会議での有名なセリフ)とか、絶滅の危機にある鯨資源の保護を考えていたとは到底思えない。 もしそうであれば、そもそも自国が先住民に捕鯨を認めていたホッキョククジラは資源が極端に減少していた種だったのだから、まずは自国のホッキョククジラ捕鯨を止めないのはおかしな話だ。 またアメリカのマグロ巻網漁業では、当時毎年何万頭ものイルカを混獲していた が、政府は 1980年代に問題化されるまで何も対策をとっていない。  水産ジャーナリストの梅崎義人は、この点について「クジラと陰謀」(1986)の中で次のような指摘をしている。  ①1972 年の国連人間環境会議では、アメリカによるベトナム戦争での環境破壊が問題視されることが確実だったため、批判から目をそらすために商業捕鯨10年間停止を急きょ議題に加え、現地では環境保護団体を動員して反捕鯨運動に火をつけた。
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②アメリカの畜産業界団体が、日本向けの牛肉輸出増加を求め米政府に圧力をかけ、捕鯨を止めさせることで当時日本の重要な蛋白源であった鯨肉の代わりに牛肉の消費拡大を狙った。  ③マッコウ脳油に代わる化学合成油を開発したアメリカの石油業界が、開発に要した莫大な費用を回収するため、価格の安かったマッコウクジラ脳油を世界市場から駆逐する目的で米政府に圧力をかけた。  ④化学合成油を開発したアメリカは、まだマッコウ脳油をトランスミッションに使用している日本の自動車輸入禁止をもくろんだ。  このうち①と②については、いわゆる「クジラ陰謀論」として現在でもよく知られている話だ。特に①の国連人間環境会議での決議は、当時の水産庁関係者や捕鯨業界にとっては衝撃的であり、水産庁次長やIWCの日本代表を務めた 米沢邦男氏や島一雄氏なども、この提案がベトナム戦争の批判回避が目的であったと自著などで述べている。 アメリカがこの会議でベトナム戦争が主題になることを嫌い様々な対策をとったことは、外交文書などからも間違いない。 当初予定されていた議題には無かった捕鯨に関する話が、アメリカによって突然提案されたのは会議の6か月前である。 日本はこのような突飛な提案が採択される可能性が低いと見ていたが、会議開催中のアメリカの強力な票工作によって形勢が一気に逆 転したとされる。  しかしこの「クジラ陰謀論」が真実だったとしても、アメリカ政府としては会議を無事乗り切った時点で目的は達成されたはずである。 ベトナム戦争は 1975年に終結しており、IWCにおけるアメリカの10年にわたるモラトリアム 実現へ熱意までもが、ベトナム戦争と関連があったかという点については疑問が残るところだ。  ②についても疑問が残る。確かに日本においては、終戦後の食糧危機の時代から、鯨肉が極めて貴重な動物性たんぱく質の供給源であった。 農林水産省の食 糧需給表によれば、日本に一番鯨肉が多く供給された年は1962年(昭和3年) で、3万3千tであった。 この年の国民1人当たりの鯨肉供給量は年間 2.4Kgで肉類では最も多く、牛肉の2倍を食べていたことになる。 しかしアメリカが牛肉輸出拡大を画策していた(であろう) 1970年の時点で、国民1人当たり供給量は牛肉 2.1Kgに対して鯨肉 1.2Kgと完全に逆転しており、肉類では豚 が 5.3Kgで最多である。 商業捕鯨モラトリアムが成立する直前の 1981年に至っては、豚9.6Kg、鶏7.9Kg、牛3.7Kgの順で、鯨肉はわずか0.32Kgにすぎない。 アメリカの畜産業界が日本への輸出拡大を狙っていたことは事実かもしれないが、日本の鯨肉供給をつぶしたところで、せいぜい国内の豚肉や鶏肉 がとって代わるくらいだろうという量であり、アメリカ政府が国益をかけて日本 の捕鯨停止に熱心になるとはこれまた思えないのである。  一方③、④については、まさに本稿で論じているマッコウ脳油の話である。 ただし④については、1970年頃に日米貿易で問題となっていたのは繊維製品で、自動車ではない。 日米で自動車摩擦が大問題となったのは10年後の 1980年で、この頃には日本の自動車にもマッコウ脳油は使われていなかった。 従って3が一番もっともらしく思われるのだが、果たしてそれだけが理由だったであろうか。 8●誰も言わないが・・・  確かなことは、1972年に海産哺乳類保護法を制定して商業捕鯨停止を政策として決めた時点で、アメリカはもはやマッコウ脳油を必要としていなかったということだ。代替となる化学合成油の開発に成功し、当面必要なマッコウ脳油についても相当の備蓄があったことだろう。前述のように、その備蓄は日本の捕鯨から得られた脳油だったかもしれない。1970年代から捕鯨反対を旗頭に雨後の筍のように増殖していった環境保護団体はさておき、アメリカ政府にとっては少なくともこの時まで、日本の捕鯨は自国の国益に利した「正しき」行為であったはずである。  では、その日本を巻き込んででも、アメリカが全力を挙げて捕鯨を阻止するほどの国益に関わる問題とは何だったのだろうか?  1960年代、世界は東西に分断され冷戦の時代であった。アメリカはソビエ トと宇宙開発の優位を争い、軍備拡張を競った時代だった。そして 1969年についにアメリカはアポロの月面着陸で宇宙開発における国の威信を守り、間もなくマッコウ脳油に代わる化学合成油の開発に成功した。しかしもし、ソビエトがその時点で、まだ化学合成油の実用化に成功していなかったとしたら?  話のつじつまが妙に合うのである。  繰り返しになるが、1972年の時点で、マッコウクジラを大量に捕獲していたのは日本の他にはソビエトだけである。ソビエトにとってもマッコウ脳油が重要な戦略物資であったことはアメリカと変わりない。アメリカは、自国が化学合成油の開発に先んじた時点で、ソビエトの宇宙開発や ICBMに代表される軍備拡
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張を少しでも遅らせようと考えたのではなかったろうか?アメリカが国益をかけてつぶしたかったのは、実は日本の捕鯨でも世界の商業捕鯨でもなく、ソビエトのマッコウクジラ捕鯨だったのではなかったか。 9●後日譚 仮にこの推論が当たっていたとしても、現在の欧米を中心とする反捕鯨運動や鯨保護の趨勢を直接説明することは難しい。 そもそも、マッコウクジラ捕鯨は、南氷洋では 1978 年から、北太平洋でも 1980年から母船式捕鯨が停止され、1982年の商業捕鯨モラトリアム成立を待つことなく、ソビエトはマッコウクジラを捕獲できなくなった。 しかしこれはアメリカが目的を果たしたと言うよりは、ソビエトもその頃には自国で化学合成油の生産に目途がつき、それゆえにIWCのマッコウクジラ捕鯨停止を受け入れたと考えるべきだろう。 換言すれば、アメリカ政府にとってはこの時点で、当初の「国益」としての商業捕鯨停止政策は意味をなさなくなっていたのではないか。  しかしアメリカが 1970年代初めに種をまき、国を挙げて育てた反捕鯨運動は世界中に嵐の如く広まり、もはやアメリカが収拾できる状況ではなかったに違いない。いや鯨油の話だから、「油をまき、火をつけたら野火のように広がった」と表現した方が適切だろう。  1982年の時点で、IWCは反捕鯨国が圧倒的多数を占め、巨大化した環境保護団体の活動は、もはや捕鯨だけでなくアメリカのあらゆる政策にすら大きな影響力を与える時代になった。 マッコウ脳油から始まったアメリカの反捕鯨政策も、今さら看板を下ろすことはできなくなってしまったのだ。 モラトリアムの決定後すでに5年以上が経過しているが、1978年まで捕鯨国だった豪州が今やイギリスと共にIWCにおける最大の反捕鯨国となり、時にアメリカの先住民捕鯨を批判の槍玉に挙げるのは、なんとも皮肉なことである 10●終わりに 「マッコウクジラの捕鯨が無ければ人類は 1969年に月まで行けなかった」というのが、本稿の趣旨である。 しかしマッコウ脳油の行方を追いかけるうちに、話の内容は月どころかアメリカのいわゆる「クジラ陰謀論」まで飛んで行ってしまった。 残念ながらここに書かれている話には、どれも確証があるわけではなく、あくまで状況証拠による筆者の推論にすぎない。 しかしマッコウ脳油とアポロ計画との関係にせよ、ソビエトとの関係にせよ、いつかは新たな証拠が出て来るものと信じている。  ちなみに、ものは試しで、日本の NASAとも呼ばれる JAXA:宇宙航空研究開発機構に、ウェブサイトを通じて質問をしてみた。  ①アポロ宇宙船にはいつまでマッコウ脳油が用いられていたか?  ②日本の宇宙開発においてマッコウ脳油 はいつまで使用されていたか? という内容である。 意外にも、以前にも同様の質問があったとの事で、回答はすぐに戻って来た。 ①については、予想はしていたが、前述の NASAの公式見解などの情報のみの回答で、アポロ宇宙船そのものには言及がなかった。 ②については、「JAXAで鯨油を使った宇宙機はありません」との返事で、これには笑ってしまった。 それはそうであろう。JAXA は、それまで国内にあった宇宙開発機関である宇宙 科学研究所(前・東京大学宇宙航空研究所)、宇宙開発事業団(NASDA)、 航空宇宙技術研究所が統合されて 2003年に発足した機関だ。21世紀の宇宙開発に鯨油が使われているわけがない。NASAがアポロ宇宙船を語らないと同じく、JAXA には見事に話をそらされてしまった。  日本初の人工衛星「おおすみ」は、東大宇宙研によって 1970年2月にラムダロケットを使って打ち上げられた。 1988年までマッコウクジラの捕鯨を続けていた日本が、当時のロケットや人工衛星の潤滑油に何を使っていたかは推して知るべし。 アメリカと同じく、日本もまた、マッコウクジラ無くして宇宙開発は推し進められなかったはずである
日本初の人工衛星「おおすみ」(左)は、1970年にラムダロケット(右)を 使って打ち上げられた。
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